宮森大地の歩み 〜すいっち式五十肩整体ストーリー(後編)〜

※前回まで(五十肩患者の星野さんと出会うまで)のお話の詳細は以下の関連記事(宮森大地の歩み 〜すいっち式五十肩整体ストーリー(前編)〜からお読みいただけます。

五十肩は長生き病?!

星野さんのリハビリをしたその日、宮森は家に帰ってすぐに五十肩について調べてみた。

すると、五十肩という名称の起源は少なくとも江戸時代にまで遡ることがわかった。俚言集覧りげんしゅうらんという、今でいう国語辞典に次のような記載がある。

「凡、人五十歳ばかりの時、手腕、関節痛む事あり、程過ぎれば薬せずして癒ゆるものなり、俗にこれを五十腕とも五十肩ともいう。また長命病という。」

これが書かれた江戸時代のことを考えれば「五十歳くらいまで長生きもすれば肩や腕も痛くなるもんだ」というニュアンスだったようだ。さらに現在でも世間一般では「五十肩は放っておけば良くなる」ということも言われている。

この認識が実は江戸時代から脈々と受け継がれていると考えると、何だか感慨深い気がした。

とは言え、語源という豆知識が増えたところでリハビリの内容が変わるわけではないし、間違っても「放っておけば良くなりますよ」なんてことは言えない。

放っておいても良くならず、我慢できなくなったから患者さんは病院に来ているのだ。

しかし、何が何だか分からなかった五十肩について、宮森は知識が1つ増えたことでどこか安心感を覚えた。

訳の分からないものは怖いものだが、知ること・分かることで人は安心するのだ。

次のリハビリの時に星野さんに五十肩の語源の話をすると「確かに、昔の人と比べれば私は長生きよねぇ。宮森さんのお陰でまた1つ賢くなったわぁ。ありがとう」と仰ってくれた。

このようにリハビリ中に五十肩談義で花が咲いたが、宮森は頭の中でこう考えていた。

(やっぱり年齢というのが1つの鍵なんだろう…江戸時代からそうなのだから)

宮森はまた勉強を進めることにした。

「歳だから」は半分正解…?

ところで整形外科にはさまざまな部位に痛みを抱えた方がやってくる。

中には関節の変形を伴っている方も多くいらっしゃる(宮森も何枚もレントゲンを見たし、変形性関節症の患者さんを何人も担当していた)。

すると、患者さんからよくこんなことを言われるのだ。

「医者に“歳だから”って言われた。他に言い方ってないもんかね」

(余談だが、この訴えはごもっともだと今でも思う)

さて、この加齢による変化を専門的には退行性変化とか退行変性と言う。

歳を重ねると体の代謝が変化し、骨や関節は脆くなり、筋肉が弱化していくのだが、それらの現象全般をそのように表現する。

医師がよく言う「歳だから」というざっくりな表現はどうかと思うが、その一方で40代、50代以上で若い頃と同じレベルで運動を続けられている方が果たしてどれだけいるだろうか…(アスリートだって若い頃と同じパフォーマンスを維持するができないのだから、一般人にはほとんど無理なはずだ)。

つまり残念ながら、退行性変化は生きている限りは抗えないものなのだが、しかし、ある意味では合目的な変化であるとも言える。

どういうことかというと、例えば退行性変化によって発揮できる筋力が落ちると、体を動かしたり、体を支える要素が少なくなってしまうのだが、それだと当然不都合なため、体は落ちていく筋肉の一部分を硬い組織に置き換えるのだ(これを線維化とも言う)。

筋力が落ちてしまうなら硬い組織に置き換えることで支える力を補おうという作戦である。

こう考えると、加齢による退行性変化も合目的だと捉えられる。

これも星野さんにお伝えすると「体って賢いのねぇ。私も負けないくらい賢くならなくっちゃ」と相変わらず穏やかな口調で笑っていた。

ところが、たった今、合目的な面もあると説明した退行性変化(筋肉などの線維化)にもまた、不都合な点もあるのだ。

筋肉が硬い組織になることで伸び縮みする能力が落ちるため、発揮できる筋力も落ちてしまうし、少し伸びるだけで傷つきやすい。

つまり、退行性変化による線維化した組織は硬いものの、弱く傷つきやすい。

この発見は宮森にとって大きなヒントになった。

そして体の組織が傷ついた時、その組織を回復させるためにある現象が起きる。

それは炎症反応と呼ばれるもので、これが五十肩において鍵となるのだ。

五十肩はじわじわ発症する

炎症反応についてお伝えする前に大切な話をすると、五十肩にお悩みの方には大抵、共通するストーリーがある。 大まかには次の通りだ。

STEP

ある日、何となく肩の違和感や痛みを感じる。この時は日常生活に支障がなく、「こんなことは前にもあったし、ほっとけば大丈夫かな」くらいに思う。

STEP

痛みが徐々に本格化してきて、可動域もかなり制限されるようになる。「肩が上げづらい」「着替えがしんどい」といった日常生活においても悩みが顕在化してくる。

STEP

ついに何もしなくても痛みがあり、ふとした瞬間に激痛が走ってうずくまるような状態に陥る。痛みで夜が眠れなくなったりもする。

もちろん、転んで手をついたなど明確なケガをきっかけに発症することもあるが、大抵は明確なきっかけがなく、じわじわと発症するのが特徴なのだ。

宮森が担当していた星野さんも同じような話を聞かせてくれたし、これまでに宮森が怒られたり、担当変更を申し出されたりした患者さんも似たような話をしてくれていた(余談だが結果が出せなくても当時から患者さんの話はよく聞く方だった)。

このストーリーを加齢による退行性変化を踏まえて考えると五十肩というものがよく分かる。今までの知識を整理して、以下に改めてまとめてみた。

STEP

加齢に伴って筋肉が弱くなり、部分的に線維化が起きる。

STEP

伸び縮みしにくくなった筋肉は日常の何気ない動作で少しずつ傷ついていく。

STEP

傷ついた組織を回復させるため、炎症反応が起きていく。

そして、この炎症反応は組織を回復させる反応ではあるが何より痛いのだ。

炎症が起きた部位にはさまざまな物質が放出され、その中には痛みを感じさせる物質も含まれる。痛いので嫌なことのように表現されるが、これも体に備わった知恵でもあると捉えられる。

組織が傷ついているのだから、不用意に動かせば傷口はさらに広がってしまう。痛みがあれば動かしづらくなり傷口が広がるのを防げるので、痛みも必要なものなのだ。

この傷口のまだ浅い段階が五十肩における最初の違和感や軽い痛みなのだろう。

また、炎症が起きた部位は瘢痕治癒はんこんちゆという経過を辿る。この瘢痕とは、言わばカサブタである。

極端な例ではあるが、このような手術の後も瘢痕治癒の例である。瘢痕は皮膚であれば表面から見ることができるが、体の中でも生じている。

これは誰もが多かれ少なかれ経験があるだろうが、転んで擦りむいたりした部分にカサブタができると痛みはとりあえず治るが、焦って治癒が十分でない場合にカサブタを剥がしてしまうと再度傷ついて出血してしまう。

おそらく、五十肩の初期に軽い痛みや違和感のうちに安静にしてると、ある程度は痛みや違和感が落ち着いていくのだが、この痛みや違和感が落ち着いたことを良いことに動かしてしまい、このカサブタを剥がしてしまっている人もいるのだろう。

このように違和感や軽い痛みがあっても動かしてしまったりして、少しずつ傷口が広がったりカサブタを剥がしてしまったりすることで炎症が本格化し、徐々に日常生活に支障をきたしたり、耐えられない痛みに変化していくのだ。

星野さんも「確かに最初の頃は湿布でも貼れば良いかなぁと思いつつ、一所懸命に背伸びしながら洗濯物干してたわ。歳も歳だから体も硬くなったし、背も少し縮んじゃったの。あれが肩にとっていけなかったのかもねぇ」と仰っていた。

このように勉強した知識と星野さんの経験談が結びついてきた頃、宮森のリハビリも変わってきた…やるべきことが明確になってきたため、リハビリで結果が出始めたのだ。

それは次のようなことがわかったからだ。

五十肩には3つの病期がある

突然だが、五十肩には3つの病期(病気の状態を分けたステージ)がある(*専門家によって4つに分ける人もいるが、今回は3つで説明していく)。

3つの病期とは炎症期、拘縮期、回復期である。それぞれを以下に簡単にまとめてみた。

①炎症期 Freezing phase

文字通り炎症が起きている時期で、炎症期は発症から2週間程度続くと言われている。

違和感や軽い痛みから始まった五十肩が本格化し、肩の組織が傷ついて炎症が盛んになっている段階である。

実は炎症期には組織がまだ硬くなりきっていないため、無理をすればある程度は肩を動かすことができるのだが、無理をして動かすと傷口を広げてしまい、炎症がさらに強く強く起きてしまう。

その場合や後述する理由によっては炎症期が2週間以上継続してしまうことがある(論文によっては6ヶ月続くと報告しているものもあった)。

さらに、そもそも五十肩の発症日は曖昧で、日常で感じていた違和感が徐々に痛みに変わり、耐えられなくなっていくことが多いため、発症から2週間と言うのはあくまで目安として捉えた方が良いと私は考えている。

この時期は炎症が強いため、前述したように積極的に肩を動かすことは勧められないため、肩関節は安静にし、医師による炎症を抑える注射などが優先される。

ただし、注射がよく効いて痛みが落ち着いても治ったわけではないことに注意が必要だ。不用意に動かすとカサブタを剥がすことになり、かえって悪化することもあるためだ。

肩関節に負担をかけないような姿勢の改善を目的とした施術やエクササイズを行うことが主になる。また、就寝時や明け方の痛み(夜間痛)が生じる時期でもあるため、就寝時の肩の保護を目的とした工夫を行う時期でもある。

五十肩の炎症期に見られる夜間痛の対策の例。宮森の動画である。

②拘縮期 Frozen phase

拘縮期は炎症期がどれだけ続くかによるが、炎症期を経て発症から6ヶ月程度まで続くと言われている。

拘縮期は肩関節の炎症を起こした組織が瘢痕治癒し、カサブタに置き換わってくる時期だ。カサブタに置き換わった組織は柔軟性が落ちているために可動域制限を感じる時期になる。

そして炎症による痛みは落ち着いてくるものの、また別の問題も出てくる。

炎症によって生じた痛みにより、筋肉は強く収縮している(強く収縮することで関節を動かさないようにするという意味もある)。この筋肉の強い収縮によって血行不良や神経の挟み込みが起きてしまい、二次被害的に痛みが生じている時期でもあるのだ。

このため、拘縮期ではカサブタを剥がさないように慎重に可動域を広げるストレッチなどを行いつつ、炎症期に強く収縮して緊張した筋肉をほぐしながら血流の改善や神経の挟み込みを解除し、二次的な痛みの対策もしていく。

二次的、三次的な症状に対する対策の例。

③回復期 Recovery phase

拘縮期を経て回復期に移行するのは発症から6ヶ月〜1、2年続くと言われている。

回復期になると痛みはほとんどなくなり、硬くなった組織を積極的にストレッチしていってカサブタをより柔軟性のある組織に置き換えていくことで可動域を改善していく。また、筋力低下を起こした筋肉を鍛えていって再発予防に努めるのも大事だ。

ちなみに、筋肉を鍛えて筋肉量を増やすことで水分の保持量が増すため、水々しさを取り戻すことができる。それに鍛えておかないと、線維化が進んで再発してしまうことも実はザラにあるのが五十肩だ。

なお、個人的な経験をお話すると、このような病気に則った対応をしっかりと行えれば、個人差はあるが6ヶ月〜10ヶ月程度で五十肩は改善できる方が多い印象がある。

主に回復期以降に行う五十肩における筋トレの例。

さて、ここまで勉強が深まってくると、不器用ながらも病期に合わせたリハビリを提供できるようになっていた。星野さんも「宮森さんのお陰で段々とよくなってきたわぁ」と喜んでくれていた。

気がつけば星野さん以降に担当した五十肩患者さんたちが離脱することもなく、継続してリハビリを受けてくれるようになっていた。

自信と安心感を手にした宮森は、1番苦手で仕事を辞めたいとまで思っていた五十肩の施術が好きになっていた。

しかし、これだけでは終わらなかった。

また印象深い患者さんが現れることになる。

何をやっても良くならない五十肩患者さんがやってきた

ある日、以前に膝の痛みで担当していた平井さんという患者さんが今度は肩の痛みを訴えてリハビリを再開した。

そして、平井さんの肩はただの痛みではなかった…ちょっと都合の悪い位置に腕がズレるだけで悲鳴を上げるレベルの激痛だった。

医師の診断は肩関節周囲炎、つまり、いわゆる五十肩だった。

平井さんも穏やかな方で「先生ごめんねぇ、前は膝を良くしてもらったんだけど、今度は肩がこんなことになっちゃって…見捨ずによろしくお願いしますねぇ」と申し訳なさそうな顔で言われた。

ちなみにこの時の平井さんの表情と言葉は覚えていて、今でも時々夢に見ることがある。それだけ宮森に変わるきっかけをくれた星野さんと同様に印象的な患者さんなのだ。

平井さんとのリハビリが、宮森にとって新たな転機となる。

平井さんのリハビリではほんの少し腕の位置がズレるだけで痛みが出るため、積極的に動かすことができない…つまり、炎症期だと判断できたため、医師による炎症を抑える注射も行われたし、リハビリでは肩の位置がズレないように体幹や肩関節の安定化を図るようなアプローチをしていった。

しかし、痛みが取れない…リハビリを開始して1ヶ月が経っても相変わらず悲鳴を上げるレベルだった。

何かがおかしい。

担当医師に「平井さんの肩はやっぱり変です。再度レントゲンを撮ってもらえますか?」とお願いすると、医師もさすがにおかしいと思ったらしく、すぐに診察でレントゲンを撮ってくれた。

すると、嫌な予感が的中した。

診断名は上腕骨頭壊死じょうわんこっとうえし、簡単にいえば、二の腕の肩に近い部分の骨が腐っていたのだ。

この結果、平井さんのリハビリは中止、壊死した部分を人工の骨に入れ換える人工骨頭置換術が適応された。

上腕の人工骨頭置換術のイメージ。人工骨頭に入れ換えると、肩関節の可動域は90°くらい(肩と同じ高さくらい)までしか改善できなくなる。

手術後、平井さんは「骨が腐ってたらそりゃ痛いわよねぇ」なんて相変わらず穏やかに仰っていたが、それに気づけなかった宮森は自分が情けなかった(ちなみに手術後も引き続き担当し、日常生活で問題ないレベルまで改善したのは言うまでもない)。

しかし、疑問は残る…勝手に骨が壊死することはないからだ。

担当医師に聞いてみたところ「何でかわからないけど、骨頭壊死って酒飲みに多いんだよね。平井さん、お酒好きな方でしょ」と言っていた。

その言葉をヒントに今度は栄養学を少しずつ勉強していくと、わかったことがあった。

骨が腐ったのは本当にお酒が原因だった

お酒(アルコール類)は体内でエタノール → アセトアルデヒド → 酢酸という3段階で分解される。

アルコールはこの3段階で代謝(分解)される。

このうちエタノールとアセトアルデヒドは人体にとって有毒な物質で、特にアセトアルデヒドは二日酔いの原因物質とも言われている。

そして、こういった有毒物質があると細胞を傷つけ、炎症を起こしやすくなる。血管で起きれば動脈硬化に、皮膚で起きればタルミに、関節で起きれば軟骨がすり減りやすく…といった感じだ。

エタノールやアセトアルデヒドによる有毒物質によって細胞が傷つく反応として、似た反応に酸化反応や糖化反応がある。
図は体のコゲつきとも言われる糖化反応である。

平井さんはお酒が大好きで、毎日のように晩酌をしていた…しかも、何十年も。

つまり、お酒を慢性的に摂取し続けた結果、血管で炎症が起きて治らなくなり、さらには血行不良が起きたことで骨頭壊死に至ったのだ。

平井さんは変形性膝関節症も患っていたが、膝関節の変形にもおそらくはお酒も関与していたのだろう。これは言わば、糖尿病の末期と同じような病態だったわけだ。

五十肩による炎症期が2週間以上継続する理由の1つには、このような生活習慣や内臓の問題が関わってくることもあるのだ。

改善が遅い人には理由があった

平井さんのリハビリをきっかけに宮森は担当していた患者さんに食事や睡眠時間、運動習慣などの日常生活上のアンケートを取るようになる。

そして予感は的中、やはりリハビリが長引いていたり、症状の改善が遅い人はそれなりに体に負担をかける生活習慣を送っていた。

これは運動習慣がなかったり、ついつい夜更かしをしてしまったり、食べ物に好き嫌いがあったり、栄養バランスが偏っていたりと、世間一般で言われているようなことであったが、それが何年も何十年も積み重なって体に負担をかけていることが予想できた。

このように炎症が起きやすい基盤が日常生活でできており、年齢を重ねて退行性変化が起きた中で体に負担をかけ、炎症が起きるとそれが長引き、それだけ痛みもひどくなってしまうのだ。

ちなみに平井さんはお酒が大好きだったが、星野さんは甘いものが大好きだった。

星野さんにこのことをお伝えすると「確かに体に悪いとは思ってたけど、五十肩に繋がるとは思ってなかったわぁ」と相変わらずの穏やかな驚かれていた(しかし、この話をしても相変わらず甘いものは食べていたようで、カバンの中にはチョコや飴が入っていて病院スタッフにこっそり配ったりしていた)。

そして、このことをきっかけに宮森の施術も意識も変わっていった。

五十肩には日常生活と内臓へのアプローチも重要

上腕骨頭壊死をした平井さんを担当した経験から、生活習慣や内臓へのアプローチが重要なことを宮森は思い知らされた。

実は、すいっち式五十肩整体では内臓整体も行うのだ。

宮森が内臓への施術法(内臓マニュピレーション)を習得したきっかけについては長くなるので別の機会に語ることになるが、内臓の不調や疲労も体の痛みやしびれといった症状として表現される。

ちなみに肩に関連が深い臓器で言えば、心臓や肺、肝臓、胃が関わってきやすいが、結局体は全て繋がっているのでどの臓器に不調をきたしても痛みが出るに変わりはない。

さて、簡単に説明すると、内臓の不調や疲労によって出る痛みの例としては内臓の関連痛が有名だ。

内臓による関連痛の例。

この関連痛が生じる理由として、これらの臓器に信号を送る神経と肩周りの筋肉や組織に信号を送る神経が共通していることが挙げられる。例えば、心筋梗塞を起こした時には左肩から腕、指先まで走る激痛を経験する方もいる。

ちなみにこの内臓の不調や疲労で生じる関連痛とというのは、病名がつくレベルまで内臓が悪い状態にならないと出ないということはない。

深酒をしたり、痛み止めの薬を飲んだりしたりして肝臓に負担をかけた翌日に、自覚があるかどうかは別だが右肩周りの筋肉が硬くなっているなんてことは実はよくあるのだ。

このことを知っていた宮森は五十肩の患者さんにももちろん内臓への施術を行なっていた。

触れるくらいの軽い刺激ではあるものの、内臓を調整することで肩周りの筋肉の緊張が落ち着いて痛みや可動域が改善していった。そして、内臓整体にに加えて可動域を広げるようなストレッチを行ったり、動きやすくなったところで筋トレの方法をお伝えしたりしていた。

この内臓への施術に患者さんは驚きつつも、良くなっていったので喜んでくれていた。

数年前には予約変更を申し出されるレベルのダメダメ理学療法士だった宮森は、別の理学療法士が担当していた患者さんから「あのお兄ちゃん、宮森さんっていうの?あの人にやってもらいたい」と逆指名をいただくにまでなっていた。

しかし、それでも平井さんは救えなかったのだ(これが今でも時々夢に見る理由だ)。

宮森はひどく後悔し、そして新たな可能性を模索することになる。

「病院を辞めて、一人でやってみよう」

整体院すいっちを開業!

病院には生活に支障がある患者さんがいらっしゃる。それも病的な状態だ。そんな患者さんと関わることにもやりがいを感じていた。

それでもこんな想いが拭えなかった。

「病名がつくレベルまで体を悪くしてしまえば回復までに時間もお金もかかってしまうし、平井さんのように取り返しのつかないレベルの人もいらっしゃっている。絶対、取り返しのつかなくなる前に何とかした方が絶対にいいはずだ」

もちろん、病院での業務もとても大切だと今でも思う。医療従事者の方々に尊敬の念を持っている。しかし、宮森は自分が活動する場は医療機関ではないと感じた。

そして、ついに2015年5月、宮森は整体院すいっちを開業する。

整体院すいっちのロゴ。すいっちを押すことによって元気になることを表現している。

整体院すいっちの“すいっち”には、健康のスイッチを押す、と言うような、きっかけ作りという意味を込めた。

この屋号は内臓や自律神経の施術法を教えてくれた師匠が「僕はスイッチを押すだけだから」という言葉を使っていて、それを拝借した。

ちなみに“すいっち”を平仮名にしたのは退職前に担当していた患者さんに「ひらがなの方がやわらかい印象だし、先生のやさしさが出ていて良いと思う」と言われたからだ。

そして宮森は病院勤務時代に思い描いた「病名がつくレベルまで体を悪くなる前にアプローチしていく」という想いを原動力に動き出していった。

すいっち式五十肩整体が最後の砦になります

整体院すいっちを開院してからも、五十肩の方が多く訪れてくれている。

「あちこち行ったけど良くならなくて…」

「もう3年くらい思うように肩が動かせてません…」

「もう何ヶ月もぐっすり眠れていないんです…」

それに病院でも担当することがなかったくらいにガチガチになってしまった五十肩も方もいらっしゃる。

それでも宮森は臆することなく、日々、自分のミッションを遂行する。お一人お一人の生活習慣を聞き取り、丁寧にくまなく体をチェックしていく。

大抵の場合は自覚がなくても生活習慣にも問題があるし、内臓の状態も悪かったりもする。

そして何より、病期に合わせたアプローチが行えておらず、治りかけても再度傷口を広げて悪化させてしまっていることも多いのだ。

ここで冒頭の宮森の言葉を思い出してほしい。

宮森大地

「五十肩はその都度その都度、適切な時期に適切なアプローチすれば、その場でもしっかりと結果が出るんです。これを続ければしっかりと良くなっていきますから、引き続き頑張っていきましょう(※効果には個人差があります)」

すいっち式五十肩整体ではお一人お一人の状態・状況を踏まえて、肩関節だけでなく、体幹や下半身、そして内臓への施術も行っている。さらに、それらの効果をより引き出して安定させる自律神経系へのアプローチを加えて完成した。

そして回復を早めるための日常生活のアドバイスも忘れることはない。

もちろん、これはすいっち式五十肩整体の現在型が完成するまでの物語だ。

技術に終わりはない…まだまだ知識を深め、技術を磨き、すいっち式五十肩整体は進化していく。

五十肩にお悩みのあなたに伝えたい。

すいっち式五十肩整体が最後の砦になります。どうか希望を持って、整体院すいっちにいらっしゃってください。

ガチガチの五十肩でお悩みだった関様のBefore Afterです。

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